2010年9月20日月曜日
2010年9月18日土曜日
ギター
そこにあるだけでは、ただの木でできた物体。
その物体には弦が六本張られている。
手にとって自分で触れないと、始まらない。
ひとたび触れてみれば、それに合わせて音が響いてくる。
音を重ね、伸ばし、並べると、あら不思議。
一つの世界が立ち上がってくる。
何もしなければ、黙って静かにしているギター。
打てば響く西郷隆盛みたいなやつ。
嘘が通じないギターは正直者。
世界は無限に広がっている。
その物体には弦が六本張られている。
手にとって自分で触れないと、始まらない。
ひとたび触れてみれば、それに合わせて音が響いてくる。
音を重ね、伸ばし、並べると、あら不思議。
一つの世界が立ち上がってくる。
何もしなければ、黙って静かにしているギター。
打てば響く西郷隆盛みたいなやつ。
嘘が通じないギターは正直者。
世界は無限に広がっている。
2010年9月16日木曜日
秋太郎
昨日一昨日と二日連続で、稲刈りの手伝いに行ってきた。コンバインでゴトゴト一列ずつ稲が刈り取られていくのをあぜ道に腰を下ろしながら眺める。刈り取った稲穂が満杯になると、軽トラに積んだ穀物搬送機『秋太郎』なる大きなバックに、”オーガ”と呼ばれる長いアームを伸ばして稲穂を排出する。デカイ水道の蛇口のようなものと言えば良いだろうか 結婚式に米を降り注ぐライスシャワーというものがあるそうだが、これもまさしくライスシャワーだよなと思いながら、バックの中が均一になるように”殻つきライス”を押したり、引いたりして馴らしていく。シャワー繋がりでいうと”秋太郎”は米が外に出ない程度の網目状の巨大バックなので、そこに大量の水を流せば網目から細かい水が出て大きなシャワーの蛇口に変身することもできるだろうなと想像した。
稲を刈った後を軽く整備するために、レーキを持って田んぼを歩くとまず目に入るのが、大量のツチガエルである。脚を下ろすたびにツチガエルがピョーンと何匹も飛び回る。踏まないように注意して歩くのだが、なにせツチガエルというだけあって、タンボの土とほとんど同じ色。ちょいと通らせてもらうよ!と1人ごとを言いながら作業を進める。
作業の合間に休憩しながら思う。田植えをしたものが立派に育ち、今それを収穫している。一緒に田植えをした家族と親戚の顔が浮かんできて、力を合わせて作ったんだなと思ったけど、よく目の前の田んぼを見たら、人間だけでなく、カエル、様々な鳥、昆虫、微生物、太陽、水など数えきれないくらいのものが関わっていることに改めて気付いた。
田んぼでの作業が終わり、祖父母の家に戻り”秋太郎”などの機材の片づけに入ると、今年の稲刈りももうすぐ終了。すると祖父もリラックスしたのか、「ブススッ」とすこし湿り気のある屁を一発かましたと思うが先か、例の匂いが漂ってきた。瞬間的に「くせぇ」と思ったが、よく考えたら自分も同じ米を毎日食べているのだから、同じような匂いを出しているのだろうなと思った。ちょうどこの文章を書いている最中に、隣の部屋からオヤジの威勢の良い屁の音が聞こえてきた。
稲を刈った後を軽く整備するために、レーキを持って田んぼを歩くとまず目に入るのが、大量のツチガエルである。脚を下ろすたびにツチガエルがピョーンと何匹も飛び回る。踏まないように注意して歩くのだが、なにせツチガエルというだけあって、タンボの土とほとんど同じ色。ちょいと通らせてもらうよ!と1人ごとを言いながら作業を進める。
作業の合間に休憩しながら思う。田植えをしたものが立派に育ち、今それを収穫している。一緒に田植えをした家族と親戚の顔が浮かんできて、力を合わせて作ったんだなと思ったけど、よく目の前の田んぼを見たら、人間だけでなく、カエル、様々な鳥、昆虫、微生物、太陽、水など数えきれないくらいのものが関わっていることに改めて気付いた。
田んぼでの作業が終わり、祖父母の家に戻り”秋太郎”などの機材の片づけに入ると、今年の稲刈りももうすぐ終了。すると祖父もリラックスしたのか、「ブススッ」とすこし湿り気のある屁を一発かましたと思うが先か、例の匂いが漂ってきた。瞬間的に「くせぇ」と思ったが、よく考えたら自分も同じ米を毎日食べているのだから、同じような匂いを出しているのだろうなと思った。ちょうどこの文章を書いている最中に、隣の部屋からオヤジの威勢の良い屁の音が聞こえてきた。
2010年9月9日木曜日
観壮の線架高道鉄るせ貫縦を市全
今日行った本屋で、昔の写真をポスターカードにしたものを集めたフェアーをやっていた。いかにも古そうな白黒写真がズラリ、中には白黒写真に彩色した変にカラフルなものもいくつかあった。どうやら地元の古い写真が集められているようで、行ったことのある土地の名前がちらほら。
中でも姫路城周辺のものや、神戸などの写真を見るのは面白かった。例えば神戸にあるトアロードを走る市電の写真を見た時は発見だった。というのも自分が知っているトアロードといえば、せいぜいその道の周辺にファッション関係の店があって、オシャレなカフェがあってというくらいの認識しかなかった。そもそも神戸の街を車で走ることもほとんどないので、今現在のトアロードがどんなものかさえも良く知らない。
しかし、そのトアロードを市電が走っている写真を手にとって眺めてみると、色んな想像が膨らんだ。環境という面で考えれば排気ガスを出す車より、多くの人間を運べる市電のほうが良いのではと考えたり、今ある街が完成というわけでなく、どんどん姿を変えていくということ。例えば、20年~30年先という未来を想像してみると、今当たり前のように道路を走っている車が、市電のように姿を消して全く別のものに代わっていてもおかしくないということ。など色々頭の中を思いがめぐったのであった。
実際に購入したのはその「市電」のポスターカードではなくて、神戸の街を走り抜ける「汽車」を映したもの。自分からすれば神戸の街を汽車が煙を上げて走っていたということが、逆に遠い未来の話のようである。街の姿をみると瓦屋根がほとんど。
我々が当たり前のように今生活している風景も、我々の想像を超えた変化を見せるのだろうなと古い写真を眺めながら思う。
実は色々あった写真の中で前から見たかったものがあったので、それを見つけた時は嬉しかった。それは自分の家の近くにあったと聞いていた「温泉」の写真である。今はただの住宅地になっていて、知らない人に昔ここに温泉があったといえば驚くぐらい平凡な所に、それは確かに存在していたのである。春になれば桜が満開だったそうである。
ところでこの「温泉」の写真との出会いは自分のなかでも一つのトピックではないかと思っている。なんとなく頭の中で興味があって、知りたいなと思ってたことが、忘れた頃に実際に目の前に現れた・・・。ちょっとした夢が叶ったみたいなもの。だったら他にももっと面白くて、楽しくて、そして自分だけでなく他の人も明るくなれるような未来を想像し続けていたら、こんな途方もないことも忘れた頃にあっけなく実現されてしまうのではないかと思ったりもした。
中でも姫路城周辺のものや、神戸などの写真を見るのは面白かった。例えば神戸にあるトアロードを走る市電の写真を見た時は発見だった。というのも自分が知っているトアロードといえば、せいぜいその道の周辺にファッション関係の店があって、オシャレなカフェがあってというくらいの認識しかなかった。そもそも神戸の街を車で走ることもほとんどないので、今現在のトアロードがどんなものかさえも良く知らない。
しかし、そのトアロードを市電が走っている写真を手にとって眺めてみると、色んな想像が膨らんだ。環境という面で考えれば排気ガスを出す車より、多くの人間を運べる市電のほうが良いのではと考えたり、今ある街が完成というわけでなく、どんどん姿を変えていくということ。例えば、20年~30年先という未来を想像してみると、今当たり前のように道路を走っている車が、市電のように姿を消して全く別のものに代わっていてもおかしくないということ。など色々頭の中を思いがめぐったのであった。
実際に購入したのはその「市電」のポスターカードではなくて、神戸の街を走り抜ける「汽車」を映したもの。自分からすれば神戸の街を汽車が煙を上げて走っていたということが、逆に遠い未来の話のようである。街の姿をみると瓦屋根がほとんど。
我々が当たり前のように今生活している風景も、我々の想像を超えた変化を見せるのだろうなと古い写真を眺めながら思う。
実は色々あった写真の中で前から見たかったものがあったので、それを見つけた時は嬉しかった。それは自分の家の近くにあったと聞いていた「温泉」の写真である。今はただの住宅地になっていて、知らない人に昔ここに温泉があったといえば驚くぐらい平凡な所に、それは確かに存在していたのである。春になれば桜が満開だったそうである。
ところでこの「温泉」の写真との出会いは自分のなかでも一つのトピックではないかと思っている。なんとなく頭の中で興味があって、知りたいなと思ってたことが、忘れた頃に実際に目の前に現れた・・・。ちょっとした夢が叶ったみたいなもの。だったら他にももっと面白くて、楽しくて、そして自分だけでなく他の人も明るくなれるような未来を想像し続けていたら、こんな途方もないことも忘れた頃にあっけなく実現されてしまうのではないかと思ったりもした。
2010年9月4日土曜日
かんばせいしょん
昨日初めてskypeを使って会話をする機会があった。こちらは、普通のデスクトップのパソコンからの通話で、相手側はipod touchからの通話であった。通話に便利なヘッドセットを持っていないので、ヘッドホンをマイク代わりにしゃべることになったのであるが、それでもこちらの声はちゃんと相手に届いていたようだ。
ところで、skypeを使っての通話をしてみて思ったのは、一つ自分の中にあった固定観念が無くなったということである。離れた場所にいる人間と会話するには、電話の受話器に向かってするものということを当たり前のように思っていたけど、今回はお互いがそういうものは使わずの会話になった。
会話の方はというと、これがとても面白かった。べらぼうに。そしてとても楽しかった。話している最中に色々発見があったり、アイデアが湧いてきたり、なんだかんだで6時間近く朝になるまで一気にしゃべり通した。多分、その気になれば24時間でもしゃべり続けることができるね。そう思った初skype体験であった。
ところで、skypeを使っての通話をしてみて思ったのは、一つ自分の中にあった固定観念が無くなったということである。離れた場所にいる人間と会話するには、電話の受話器に向かってするものということを当たり前のように思っていたけど、今回はお互いがそういうものは使わずの会話になった。
会話の方はというと、これがとても面白かった。べらぼうに。そしてとても楽しかった。話している最中に色々発見があったり、アイデアが湧いてきたり、なんだかんだで6時間近く朝になるまで一気にしゃべり通した。多分、その気になれば24時間でもしゃべり続けることができるね。そう思った初skype体験であった。
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