2013年1月31日木曜日
2013年1月30日水曜日
縁と関数
人は色々な繋がりの中で生きている。それは具体的に人と人が接している時間だけではない。例えば今座っている椅子だって、どこかの誰かがデザインして、工場で誰かの手で組み立てられ、自宅まで運ばれてきて、今自分のもとにある。そこに関係した人達はそれぞれ家族があり友人がいてと、関係を見ていくと宇宙まで広がっていく。そういう風に関係を見て行くと、人が孤独に生きているなんてあり得ないと思う。
ところで、最近映像を作る機会が色々あり、その関連でプログラミングに関心が戻ってきたのだが、関数という存在が面白いと最近思う。
関数には何かしら計算式が組み込まれていて、そこに何か値を放り込んだら計算して、新たな値を返すというものだ。
これを人間に置き換えてみたらどうだろう。自分は社会にとって、そして宇宙にとってどういった関数を持っているのか?
人と人との繋がりで、自分はどういった値を返しているんだろう。例えばお笑い芸人だったら、あらゆる値、悲しいこともつらいことも、「笑い」という値にして返しているんだろう。
自分が持っている関数がポンコツのでたらめだったら、何をしてもデタラメの値を出してプログラムは残念なことになるだろう。もちろん人間は機械ではないので、正確無比な存在にならないと思う。でも、自分の元にやってきた人や何かしらの情報みたいなものを、何か良いものに変換し付加価値をつけて返せるような存在に、少しでも近づいていけたら、もしくはそちらの方向へ歩いていくだけでもできたらと思う。
2013年1月29日火曜日
Francis Bebey
Shuggie OtisとTimmy Thomasを合わせてトロピカルにした感じ!?キックの音を始め聞いたとき、最近の曲なのかなとおもったら30年以上前の曲と知ってたまげた。
2013年1月23日水曜日
2013年1月9日水曜日
見たものがすべて
映画に限らないと思うけど、鑑賞する側からすれば発表された作品の形しか知らないので、それを1つの世界観として受け取ってしまう。カーネマンの『ファスト&スロー』で「見たものがすべて」という言葉があるけど、まさにそんな感じ。
実際のところ作品にそぐわなかっただけであって、背後には使われなかった美しいシーンや、ストーリーが山ほどある。本編の作品よりあったりもする。
作る側、いやもしかしたら見る側も、その語られなかったものが次の作品なり、あらたな発想のきっかけへと繋がっていくんだと思う。直接その素材を使うかどうかは別として。
とか言いながら、新しく何かを作る時は前の作品はほとんど関係なかったりもする。その時一番関心がある事柄のほうが面白いから。
実際のところ作品にそぐわなかっただけであって、背後には使われなかった美しいシーンや、ストーリーが山ほどある。本編の作品よりあったりもする。
作る側、いやもしかしたら見る側も、その語られなかったものが次の作品なり、あらたな発想のきっかけへと繋がっていくんだと思う。直接その素材を使うかどうかは別として。
とか言いながら、新しく何かを作る時は前の作品はほとんど関係なかったりもする。その時一番関心がある事柄のほうが面白いから。
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