2012年5月6日日曜日

空の下で

ここ何年か祖父に畑を借りて小さな菜園をやらせてもらっているけど、周りでは畑をやめる家も多い。アパートになったり、住宅建設の準備なのか雑草が生え放題になっていたりする。そもそも自分が今住んでいる実家も、元々は畑だったそうだ。

 それはそれで、土地の利用として当然の成り行きの一つなのだが、畑が無くなっていくのは少し寂しい気持ちもある。畑で鍬を持ち耕し、野菜に水をやる。太陽の光を浴び鳥のさえずりを聞きながら、 自分が育てている野菜の成長を見る。
 夕方になると、近所の人が散歩がてら挨拶、ちょっとした会話で楽しげな笑い声が聞こえてくる。そういった光景が見れなくなっていくのは、どこかもったいないなと思う。
 もっともそれは自分が住んでいるところの話しであって、場所によっては逆に土地を開いて畑になっていっているというところもあるだろう。

 畑の良いところというのは、住宅のような建物と違って壁がないので、外とゆるやかなつながりがあるところじゃないかと思う。もちろん勝手に人の畑に入っていって良いわけではないが、壁で完全に隔たれているわけではないので、そういう空間が地域の中にところどころあるだけで、人と人のつながりのオプションがひとつ作られる。人だけでなく動物や、昆虫、鳥なども。

 そういったことなら公園というのもあるわけだが、公園と畑の違うところは、畑では自分で生き物を育てて、それを収穫し、自分達で調理し食べる。余ったものは人にあげたりもする。
 公園よりは自分が参加できるものでありつつ、住宅という空間よりは、内からも外からも開放的である。

 高度に発達した現代社会では、わざわざ自分で食物を確保しなくても、お金を支払えば簡単に食卓は充実する。
 しかし、畑や、プランターで実際に自分で野菜という生き物を育て、それを食べるという経験は、その採れたての野菜の味と同じくらい、新鮮な体験になるはずだ。





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